鎌倉幕府の成立から滅亡まで!これを読めば鎌倉幕府は完璧!

鎌倉幕府の成立から滅亡まで!これを読めば鎌倉幕府は完璧!

源平合戦

鎌倉時代に入る直前の部分としては、まず1180年、石橋山の戦いと富士川の戦いという2つの合戦は押さえておきましょう。特に富士川の戦いは源頼朝が主役で平氏は水鳥の羽音に驚いて逃げ出すというエピソードが有名ですが、実際は食料が欠乏していた士気の低い平氏と兵力に勝る甲斐源氏が主役の戦いであったことは覚えておきましょう。

平氏滅亡から鎌倉時代へ

その後、源義仲の挙兵、義仲と後白河法皇との対立、源義経と義仲の戦い、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い、義経と頼朝の対立、守護地頭の設置、頼朝の征夷大将軍任官を必ず順序だてて覚えていきましょう。出来事の連続性を追っていけば覚えやすくなります。また、源平の合戦は国語の古典での出題も多いため、しっかり理解しましょう。

1185?1192?

10年ほど前まで鎌倉幕府の成立は1192年と教わるのが一般的だった。しかし、1180年から1221年まで。それぞれを成立年とする諸説が生まれ始め、現在では、そのどれも決定的とはなっていない。これは頼朝の幕府成立が段階的に成されていったことが一番大きな理由であり、一連の流れの中で徐々に形をなしたことが原因とされている。その中でも平氏が滅亡し守護地頭を任命した1185年と征夷大将軍に任官された1192年が有力となっているのが現状である。

二頭政治の終わりと武士最初の法令

三代将軍実朝が甥の公暁に暗殺されると後鳥羽上皇が挙兵する。それまで東国が幕府、西国は朝廷の支配が強く二頭体制になっていたことは覚えておく。1221年、承久の乱、執権は義時ということもセットで覚えよう。そして1232年に武士としてはじめての法令ができる。武士としての基本法であり、領地裁判などについて細かく書かれた法令である。この時の執権は泰時である。

モンゴル人来襲

高麗を支配下においた元はついに日本にも攻撃を行う。これが1274年の文永の役と1281年の弘安の役である。一般的には集団戦法やてつはう、半弓、毒矢などを使う元軍に苦戦した日本軍だが暴風雨によって日本軍が勝利したと考えられている。しかし、実際には元軍の被害もかなり多く出ており、むしろ戦略的撤退の途中で暴風雨にあったと考えられている。このときの執権は時宗である。

生活できない御家人たち

元寇では勝利したものの、幕府から十分な恩賞(領地)をもらえなかった御家人たちの生活は苦しくなるばかり。先祖伝来の土地を借金のかたに取り上げられても生活はできず借金だけが増えていく。幕府はこの状態を放っておけず、1297年に永仁の徳政令を出す。これによって一時的に御家人の生活は楽になったが、これが原因であらたに借金することさえできなくなった御家人たちは幕府への不満を募らせるようになる。

まとめ

そして、疲れ果てた御家人たちを見て幕府を倒すなら今だと立ち上がるのが後醍醐天皇である。何度も失敗し島流しにあってもさらに立ち上がる天皇にだんだんと味方する御家人もあらわれだし、ついに鎌倉幕府の命運は途絶えていくことになる。このように必ず出来事、年代、人物をからめて覚えていくことが重要になるのである。