勉強法 キリスト教の歴史を成立から紐解く!キリスト教が誕生した背景!

キリスト教の歴史を成立から紐解く!キリスト教が誕生した背景!

 こんにちは。
 HEALNYです。
 今回は『キリスト教の歴史を成立から紐解く!』と題して、キリスト教の歴史をお話ししていきたいと思います。

 

キリスト教の前身はユダヤ教!

 キリスト教の歴史を語る上で、まず抜くことができないのがユダヤ教の存在です。キリスト教はユダヤ教を前身とする宗教だからです。キリスト教は、ユダヤ教の聖書(キリスト教ではこれを『旧約聖書』と言う)と新約聖書(キリスト教では旧約・新約を合わせて聖書と呼ぶ)を聖典とする宗教です。ここで言う旧約・新約とは、神と人類の契約の古いものと新しいものという意味で、新しい契約は「キリストによって神となされた」とされているので、旧約と新約の分かれ目は、イエス・キリストの誕生ということになります。
 ユダヤ教はイエス誕生以前の話しかないので、旧約聖書のみが聖典であり、従って、契約に新旧の概念がないため、旧約聖書のみを単に『聖書』と呼びます。ここがユダヤ教とキリスト教の歴史の転換点といえるでしょう。

 

ユダヤ教の話

 ということで、キリスト教の歴史を語る前に、まずはユダヤ教の歴史のお話をしましょう。ユダヤ教は、ユダヤ人の、ユダヤ人による、ユダヤ人のための宗教であり、諸外国の民族から迫害にあったユダヤ人の受難の歴史苦しみの歴史から生まれたものです。数々の苦しみから逃れるため、唯一の神「ヤハウェ」を信じ祈れば、ユダヤ人のみが救われる(厳密には、ユダヤ教を信じるものは何人であれユダヤ人としてみなされる)という選民思想や、神の救いを引き出すためにユダヤ人が守るべき戒律(←とても厳しい)、そして「やがて救世主が現れ、ユダヤ人は救われる」とされるメシア待望論などが現れたわけです。ユダヤ人の歴史観が垣間見えますね。
 ユダヤ教はその後、パリサイ派と呼ばれる一派が力を持つようになりますが、パリサイ派はユダヤ教の知識を独占し、宗教儀礼を過度に重んじたため、ユダヤ教は形骸化し、やがて没落の歴史を歩みます。
 そんな中、ユダヤの民が待ち望んでいた救世主が現われます。イエス・キリストです。

 

救世主誕生!

 パリサイ派の台頭により没落したユダヤ教の復興のため、イエスは布教活動を開始します。イエスは、パリサイ派を批判するとともに、律法だけではあらゆる民を救えないため、貧富の差や権力の差に拘らず、すべからく人々を救済する赦しの教えを広めました。
 結果としてイエスは、貧しい人々を中心に支持されるようになり、反対に、それを危惧する伝統的なユダヤ教の司祭や、パリサイ派の反感を買って、処刑台に送られてしまいます。
 ユダヤ教復興のための布教活動が、ユダヤ教徒の反感を買う、、、皮肉ですねぇ。。。
 ここにイエスは死んでしまいますが、キリスト教の教義によると、イエスは人々の罪を背負って、人々の身代わりとして磔の刑に処せられたとされています。
 そして、イエスの死後、イエスの弟子たちが教えを受け継ぎ、各地に広め、今日のキリスト教誕生の礎を築いたのでした。ここにキリスト教の宗教としての歴史が始まります

 

ユダヤ教徒による迫害…

 「キリスト教誕生の礎を築いた」と簡単に言ってしまいましたが、実際のところ、新興勢力としてのキリスト教は、初期の布教段階で迫害に遭います。
 実は、第一の使徒として有名なペテロは、元々はパリサイ派の人であり、当初はキリスト教を迫害する側の人物でした。その後改宗し、ユダヤ人以外(異邦人と呼ばれる)への布教を担当する伝道師として活躍しました。
 ペテロは改宗しましたが、ペテロに代表されるような伝統的なユダヤ教徒は「キリスト教はユダヤ教から独立した異端である」と考えていたため、キリスト教を強く批判し、迫害を加えていました。
 また、当時ヨーロッパを支配していたローマ帝国も、多神教を認めないキリスト教には否定的であり、弾圧こそしないものの保護もしないといった立場をとっていました。
 そして、ときは「暴君ネロ」として知られる、ローマ皇帝「ネロ」の時代に、ローマで大火事が発生します。ネロはこれをキリスト教徒の仕業であるとして、ローマ帝国による初のキリスト教迫害を実施します。この時、使徒ペテロやパウロが殉教(信仰している宗教のために命を落とすこと)します。

 

ローマ帝国による迫害…

 このネロによる迫害以降、ローマ帝国はキリスト教を異端の宗教として弾圧するようになります。キリスト教の歴史において、初期段階は迫害の歴史といっても過言ではないでしょう。
 これに対し、キリスト教徒たちは地下に「カタコンベ」と呼ばれる隠れた教会を作り、影でひっそりと礼拝を行うようになります。迫害されながらも、キリスト教の教えをしっかり伝え、キリスト教徒の数を徐々に増やしていたのです。

 

キリスト教界の序列化!

 キリスト教徒の数が増えれば、組織の規模が大きくなる為、教会の運営も秩序立ってきます。
 キリスト教界に序列が生まれ、ローマやイェルサレムにある大教会が各地の教会を統率・指導したり、教会内においても、司教がトップでその下に司祭がいるといった、ヒエラルキー(ピラミッド型に序列化された階層制の組織)構造が誕生しました。ピラミッド型社会というのは、資本主義が成熟した現代においては当たり前な構造だと思いますが、その歴史は、キリスト教誕生の時代から始まっているのですね!笑

 

独自の聖典の成立!

 キリスト教徒の数が増え、ヒエラルキー構造が誕生すると、より広範囲に布教するにあたって、キリスト教独自の聖典が必要となってきます。それまでは、ユダヤ教における聖典(キリスト教における旧約聖書)とイエスの言葉の言い伝えでもって信仰していましたが、広い地域で布教するのに、言い伝えでは困難となり、文章に書き起こす必要性に迫られたわけです。そして、2世紀初頭、イエスの言葉や使徒たちの書簡、イエスに関する逸話などをまとめた聖書(新約聖書)が編纂されます。
 以後、キリスト教布教は、ユダヤ人の苦難の歴史をまとめた旧約聖書とイエスにまつわる歴史をまとめた新約聖書によって行われるようになるのです。
 イエスの使徒が各地で布教活動を頑張ったおかげで、様々な民族へのキリスト教布教が成功します。しかし一方で、各地に広まりすぎて、地域ごとに教義がバラバラになる恐れが発生しました。そこで、正統派が何であるかを明確にする動きが起きます。

 

ローマ帝国による最大の迫害!

 さて、その前にローマ帝国による迫害の歴史をもう少し語っておくことにしましょう。ネロの迫害以降、ローマ帝国はキリスト教に対して、否定的な立場を示すようになっていましたが、最もひどい迫害がこの後に登場します。ときは、軍人皇帝時代最後のディオクレティアヌス帝の時代、ローマ社会の安定のためには、宗教の統一が必要と考えたディオクレティアヌスは、ローマの伝統的な多神教の信仰と、皇帝崇拝をローマ帝国内の民に要求しました。しかし、一神教であるキリスト教徒はこれに従わず、ディオクレティアヌスは激怒!キリスト教の大迫害を実施します。ところが、キリスト教徒はこれに屈せず、殉教者たちも信仰の対象として崇められた為、ディオクレティアヌスの思惑通りにはいかず、キリスト教の勢力は衰えませんでした。

 

とうとうキリスト教の公認!

 ディオクレティアヌスの死後、皇帝に即位したコンスタンティヌスは、キリスト教への迫害は効果を持たず、キリスト教の影響力は大きいとして、313年ミラノ勅令により、キリスト教を公認しました。ここに、キリスト教に対する迫害の歴史が終焉を迎えます。

 

正統教義論争勃発!

 キリスト教がローマ帝国において公認されると、迫害されていた時代から続いていた「何が正統派か」という議論が白熱します。最初に起こった宗派対立は、イエスを人と考えるアリウス派と神(父)・イエス(神の子)・精霊の3者が一体であるという三位一体説を唱えるアタナシウス派によるもので、コンスタンティヌス帝によって325年に召集されたニケーア公会議において、どちらが正統派か議論がなされました。結果的に、アリウス派は異端となり、アタナシウス派はこの後、正統教義として確立されます。

 

キリスト教国教化!

 さて、ここまで話してきたキリスト教の歴史を振り返ると、キリスト教は迫害と宗派対立の歴史の上に成り立っているといっても過言ではないでしょう。この後も、ギリシアの多神教を復興させようと奮起したユリアヌス帝の迫害を受けます。しかし、とうとう392年、テオドシウス帝により、キリスト教は国教として承認されます。ここにようやく、キリスト教は国家に認められ、一般社会に影響力を持つようになります。

 

キリスト教の真の日の出!

 国教となったキリスト教は、免税を受けるなどして経済的に豊かになり、ローマ教会の地位も向上、また世紀には、ローマのほか、アレクサンドリアアンティオキアイェルサレムコンスタンティノープルにも大教会が建てられ、これら五大教会権力を保持するようになったのでした。
 この間、聖書がラテン語に翻訳され、神学という学問が興るなど、キリスト教は発展の歴史を辿ります。
 ローマ帝国末期、ローマ時代最大の教父として有名なアウグスティヌスは、『告白録』や『神国論』を著し、キリスト教の権威拡大に力を注ぎました。
 その後、ローマの正統派キリスト教と他の宗派の対立も起きます。431年のエフェソス公会議でネストリウス派が、451年のカルケドン公会議で単性派が、それぞれ異端となりました。
 ちなみに、エフェソス公会議で異端となったネストリウス派は東方への布教活動を行い、ササン朝ペルシアを経て唐に入り、景教と呼ばれました。また、単性派もエジプトやシリアの教会へと伝わりました。
 以上が、キリスト教の成立と発展の歴史になります。非常に長文となりましたが、宗教の歴史は膨大なので、これでもだいぶまとめました(笑)
 この後も、11世紀の東西教会分裂やプロテスタントの誕生など、キリスト教は分裂や宗派対立の歴史を歩みますが、そのお話はまた日を改めて(笑)