2018/11/09公開

日本史受験者必見!徳川家光がしたこと完全攻略!

徳川家光はどんな人?

~キーワード~ 1604年(慶長9年) 徳川秀忠の二男 江 春日局 1623年(元和9年)

徳川家光の出生に関わる人物は有名人ばかりである。2代将軍・徳川秀忠の二男で、祖父は徳川家康である。

母は織田信長の姪浅井長政の三女・。乳母は明智光秀の重臣・斎藤利三の娘・。この福は『春日局』

して有名である。徳川家光の子には第4代将軍・徳川家綱、第5代将軍・徳川綱吉がいる。1623年(元和9年)

第3代征夷大将軍に就任する。

 

武断政治(ぶだんせいじ)

~キーワード~ 武断政治の終焉 二元政治 徳川家康 徳川秀忠 徳川家光 3代

武断政治は徳川家康から徳川家光の3代まで続いた武家の強権政治である。家光の将軍就任1623年から

1632年までは父徳川秀忠が『大御所』として君臨していた為、秀忠が将軍就任当初と同じく二元政治体制となる。

徳川家光が単独で政治を行うのは1632年(寛永9年)から1651年(慶安4年)までの20年間である。

 

紫衣事件(しえじけん)

~キーワード~ 1627年(寛永4年) 徳川家光 後水尾天皇 大徳寺 沢庵

この事件は徳川幕府と朝廷の確執問題である。1615年に発せられた『禁中並公家諸法度』から問題が

発展している。後水尾天皇禁中並公家諸法度以前の慣例に倣い十数人の僧侶へ紫衣の着用の勅許を

与えた。要するに後水尾天皇は法度を無視したわけである。この行為を徳川家光が法度違反であるとし、

法度違反の紫衣を没収した。この一連の徳川幕府のやり方に大徳寺の住職・沢庵らが反発。1629年

(寛永6年)に沢庵らは流罪となる。

 

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)

~キーワード~ 1634年(寛永11年) 寛永の大造替 徳川秀忠 徳川家光

日光東照宮が建設されたのは徳川秀忠が将軍在任期の1617年(元和3年)であるが、寛永の大造替

銘打って1634年(寛永11年)にこれを絢爛豪華大改築したのが徳川家光である。東照宮の三猿像

『見ざる、聞かざる、言わざる』は有名である。

 

出島(でじま)

~キーワード~ 1634年(寛永11年) 長崎 人工島 オランダ

家光はポルトガル人の管理の為に長崎人工島出島を築く。ポルトガルと言えばこの当時キリスト教宣教師

だが、家光はキリスト教を厳しく弾圧していた為、この様な人工島を作りすべてのポルトガル人をここに移した

また家光は追放できるポルトガル人を大量に国外追放している。

 

参勤交代(さんきんこうたい)

~キーワード~ 1635年(寛永12年) 徳川家光 軍役奉公 1年間の出仕

1635年(寛永12年)家光は武家諸法度の改定に際し、参勤交代制度を盛り込む。参勤交代とは大名が自領地

から江戸へ軍役奉公させる為の制度である。この意図は各大名の資金を減らし謀反を起こさせない様にする為の制度

と言われている。対象は徳川御三家を含む1万石以上の大名全てであった。期間は藩によってまちまちではあるが、

基本的に江戸への出仕期間は1年である。

 

寛永通宝(かんえいつうほう)

~キーワード~ 1636年(寛永13年) 銭座

1636年(寛永13年)徳川家光は近江坂本など銭座を設置し、寛永通宝の本格的鋳造を開始する。家光の鋳造させた

この通貨は江戸幕府の主要通貨となる。この寛永通宝は形を変えながらも幕末まで鋳造される事となる。

 

島原の乱(天草の乱)(しまばらのらん・あまくさのらん)

~キーワード~ 1637年(寛永14年) 天草四郎時貞 キリスト教 一揆 肥前・肥後

1637年(寛永14年)に勃発したキリスト教再興を求めた日本史上最大の一揆であり、幕末までに起きた

内戦では最後となる。天草四郎時貞は本名を益田四郎時貞と言う。最初は肥前で浪人達が集結して代官を

殺害。ここから乱が勃発する。その手勢は島原城を攻め勢いを増し、一揆に参加する者が続出し拡大していく。

それを見た天草四郎時貞率いる肥後天草でも一揆が勃発。次々と城を落として行くが唐津藩の富岡城の本丸

が落とせず後退。原城址に籠城する。原城の籠城戦では討伐軍を悉く撃退し、幕府はこの事態の収拾の為に

老中・松平信綱を上使とした12万の大軍で原城を包囲し兵糧攻めにする。その後兵糧が尽きた頃合いを見て

討伐軍は総攻撃をかけ、原城は落城し天草四郎時貞は討ち取られる。徳川家光が将軍在任期間中最も大きな

合戦である。

 

田畑永代売買の禁令(でんぱたえいだいばいばいのきんれい)

~キーワード~ 1643年(寛永20年) 寛永の大飢饉 徳川家光

先の島原の乱の事もあり1640年(寛永17年)から1643年(寛永20年)にかけて発生した寛永の大飢饉に対し

て家光は大規模な農政改革に着手する。17箇条からなる『土民仕置条々』の条項のひとつにこの田畑永代売買

の禁令がある。田畑の売買を禁止する事で農民の減少を抑える目的であったとされている。またこの6年後の

1649年(慶安2年)慶安の御触書を発布。農民統制の法令であるが、実在が怪しいとの検証があるため、頭に

留める程度で良いとされる。

 

鎖国(さこく)

~キーワード~ ポルトガル船入港禁止 1641年(寛永18年) 貿易

幕府が外交利権を独占し、貿易の管理をした対外政策を指す。鎖国という言葉自体は当時では使われていない。

『鎖国』と聞くとすべての国との国交を断絶する事の様に思うかもしれないが、オランダ中国朝鮮琉球(沖縄)とは

貿易、通信を行っていた。流れとしては、1633年(寛永10年)の奉書船以外の渡航の禁止、及び5年以上海外に住む

日本人の帰国を禁止した事から始まる。そこからオランダ・中国などの貿易船を出島のみに入港許可ポルトガル人追

、及び出島へ強制移住1639年(寛永16年)ポルトガル船入港禁止1641年(寛永18年)オランダ商館平戸

出島に移した事を以て鎖国が始まったとされている。9年間の手順を踏んで徐々に鎖国が完成したものだ。この鎖国

参勤交代と並んで家光在任期の象徴的な言葉である。

 

まとめ

徳川家光は江戸幕府に於いて象徴的な事が結構入っている。家光の行った政策は形を若干変えながらも幕末まで引き

継がれたものが多いので江戸幕府の問題を出す上で重要な期間となる。徳川家光に関する出来事や政策は必ず頭に入れ

ておかなければならない。

 

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