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2018/11/09公開

徳川綱吉に関する出来事はこれで完ペキ!入試頻出ですよ。

徳川綱吉ってどんな人?

~キーワード~ 徳川家光の四男 兄徳川家綱 堀田正俊 直系世襲の終焉

1646年(正保3年)に誕生する。父は第3代将軍徳川家光、兄は第4代将軍徳川家綱

1680年(延宝8年)徳川家光の長男・徳川家綱に跡継ぎがおらず40歳で病死した為、第5代将軍に就任する。

徳川家直系世襲は綱吉が将軍になった事で終わってしまう。将軍就任に尽力した堀田正俊を大老に就かせ、

大老・酒井忠清を退け酒井家を改易する。

綱吉は幼少から家光に儒学を叩き込まれ、学問に長けていた。将軍歴代の中で尊王心が一番高い将軍としても

知られている。1704年(宝永元年)綱吉は将軍職を甥の家宣に譲る。1709年(宝永6年)に病死。享年63歳

 

勘定吟味役の設置

~キーワード~ 1682年(天和2年) 徳川綱吉 荻原重秀 勘定所の監査

1682年(天和2年)徳川綱吉が設置。旗本・御家人から選出された勘定所の監査機関。幕府の財政支出決定に

於いて必ずこの勘定吟味役の賛同を得なければならなかった。綱吉の時代に勘定吟味役として抜擢された人物

として荻原重秀が有名である。

 

天和の治

~キーワード~ 文治政治 湯島聖堂 儒学 林信篤 林羅山 新井白石 山鹿素行

儒学を重んじた綱吉は林信篤と経書の討論や、綱吉自ら幕臣に四書・易経を講義していた。1691年(元禄4年)、

林羅山に命じて湯島聖堂を上野に建設。その湯島聖堂を学問の中心に綱吉は儒学を強く押し進め、新井白石

山鹿素行といった儒学者を多く輩出した。

 

天和令

~キーワード~ 1683年(天和3年) 武家諸法度改定 諸士法度 統合 阿部正武

1683年(天和3年)綱吉は元々あった武家を対象とした法令である武家諸法度をほぼ全改定し、これに旗本・御家人

を対象とする諸士法度統合し新たに『天和令』として発布した。作成者は老中・阿部正武である。この綱吉が発した

天和令は後の8代将軍吉宗もそのまま継承する。

 

堀田正俊刺殺

~キーワード~ 1684年(貞享元年) 堀田正俊 稲葉正林 側用人 柳沢吉保

1684年(貞享元年)大老・堀田正俊が若年寄の稲葉正林に刺殺される。綱吉は堀田正俊死後大老に誰も置かず、

側用人を重用した。その代表格が牧野成貞柳沢吉保である。またこの稲葉正林を討ったのは阿部正武である。

 

生類憐れみの令

~キーワード~ 1687年(貞享4年) 徳川綱吉 犬公方 犬

1687年(貞享4年)に綱吉は『生類憐れみの令』を発布する。綱吉が戌年生まれであるという事から犬を異常に可愛がり

に限らず魚類など多くの生物の殺生を禁ずる令である。『天下の悪法』とまで呼ばれ、綱吉に『犬公方』とあだ名

まで付いた程、この法令は徳川綱吉という将軍を語るに当たって象徴的なもので、この法令が綱吉の印象を極度に悪くしたものと言える。

 

まとめ

将軍在任前半は治世に長けた政治を行い、後半は悪名高き将軍として名を後世に残してしまう。綱吉の在任は前後で極端に印象が

違うのが特徴だ。前半のポイントは勘定吟味役湯島聖堂儒学天和令が重要で、後半は生類憐れみの令しかない。受験に於いて

綱吉に関する問題はこの5つが主であると覚えておけば良いだろう。

 

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