勉強法 鎌倉文化ちゃんと覚えてる?文化史だからって後回しにしないで‼︎

鎌倉文化ちゃんと覚えてる?文化史だからって後回しにしないで‼︎

 

センター試験での出題頻度が高い鎌倉文化ですが、

日本史受験者のそこの君!

文化史は後からでも間に合う!なんて言って後回しにしてない?

鎌倉文化は覚えることが多いから、後回しにはできんぜよ。

そういうわけで、力試しも兼ねて鎌倉文化の問題を1問解いてみよう!

 

 

鎌倉時代の文化に関する記述として正しいのはどれか。次の①〜④から1つ選べ。

 

①西行は出家し、諸国を流浪しながら『東関紀行』を著した。

②慈円は歴史を貫く原理を探り、『愚管抄』を著した。

③道元はひたすら座禅に徹せよと説き、臨済宗を広めた。

④源実朝は万葉集の歌を読み、『新古今和歌集』を編んだ。

 

 

分かったかな?

ちなみにこの問題はかなり基礎だからね( ̄  ̄)

 

 

答え

 

 

 

確認

 

他の選択肢の間違っているところを吟味しよう!

①西行が書いたのは『山家集

 西行って人はもともと北面の武士出身で本名は佐藤義清っていうんだ。

 武士の中でも北面の武士っていうのはエリートコースなんだけど、西行はそれを捨てて出家したそうな。

 ちなみに、『東関紀行』の作者は未詳。

 

③道元が広めたのは曹洞宗

 そして、「ひたすら座禅に徹せよ」という只管打坐の教えが特徴的だね。

 一方、臨済宗も同じ禅宗なんだけど、曹洞宗の只管打坐とは違って公案問答という気風があったんだ。

 公案問答っていうのは座禅を組んでいる間、師匠が弟子に問を投げかけ、弟子がそれを論破すること。

 臨済宗の僧では一休さんでお馴染みの一休宗純が有名だね!

 この二つの禅宗の違いは、

 曹洞宗の座禅が黙照禅(黙って座禅)、臨済宗の座禅が看話禅(喋って座禅)ということ。

 

『新古今和歌集』を編んだのは藤原定家

 源実朝が編んだのは『金塊和歌集』。

 源実朝は藤原定家を和歌の師匠と仰いで歌を学び、この『金塊和歌集』を完成させた。

 

 

今回やった問題は鎌倉文化では基礎のところだから、

できなかった人はまず教科書で出てくる鎌倉文化の用語を押さえよう!

あと、問題演習をする時は間違った選択肢の確認も忘れずにね!