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ビザンツ帝国史!聖像禁止令について

 

今回は、中期のビザンツ帝国で起こった、『聖像禁止令』について簡単に説明していきます。

 

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■レオン3世の聖像禁止令

まず、中期ビザンツ帝国はイサウリア朝から始まり、

開祖であるレオン3世とその子供であるコンスタンティノス5世によって基礎が作られたのは知っていますよね。

 

この二人は、小アジアに侵攻してきたイスラム勢力を押し戻すことで、国境の確立を成功させました。

その後、ビザンツとイスラム勢力は国境周辺での局地的な闘いをすることになります。

 

ここで重要になるのが、『聖像禁止令の発布』です。

 

 

■聖像禁止令とは?

726年皇帝レオン3世によって発布された聖像禁止令では、

イエスやマリアなどといったキリスト教の聖人の聖像や聖画を作ることを厳しく禁じました。

 

なぜこんなことをしたのかというと、

・イスラム教徒と常に接触していたビザンツ帝国が偶像崇拝を禁じていたイスラム教に対抗するため

・聖像崇拝派の修道院が帝国領土内で大土地所領となっていたので、それを弾圧したかったため

 

だと考えられています。

 

 

■その結果・・・

ビザンツ帝国の様々な側面を考えて発布された聖像禁止令でしたが、これによって西ヨーロッパのローマ教会との関係が急激に悪化します。

 

なぜなら、当時の西ヨーロッパでは、ローマ教会がゲルマン人へ宣教するために聖像崇拝が無くてはならない存在だったからです。

それなのに、ビザンツ帝国では聖像禁止令を発布してしまったため、ローマ教会の宣教方法を完全に否定する形となってしまいました。

 

この後、東西キリスト教会の間において聖像崇拝論争という聖像禁止令に関する大論争が勃発し、両者の対立は深まっていくのです。

 

 

■聖像禁止令の撤回

女帝イレーネによって聖像禁止令が撤回されたことで、ビザンツ帝国でも聖像崇拝が復活しました。

 

しかし、それまで東西教会は1世紀近く対立していたので、西ローマ教会はフランク王国に近づき、

カールの西ローマ皇帝戴冠によってビザンツ王国から自立し、

1054年には西ローマ教会とギリシア正教会に完全に分裂してしまうのです。

 

この状況の中で、ビザンツ帝国では『皇帝教皇主義』と呼ばれる、コンスタンティノープル総主教を宗教上の長とする一方、

その任命権を皇帝が有するという制度を設けました。

 

※レオン3世と西ヨーロッパのカール戴冠をしたレオ3世は別人です!

間違えやすいので気を付けてくださいね。