勉強法 ユーゴスラビア内戦は民族問題?わかりやすく!|政治経済勉強法

ユーゴスラビア内戦は民族問題?わかりやすく!|政治経済勉強法

 「ユーゴスラビアってなに?そんな国きいたことないけど……」と思ったそこのあなた。そう、ユーゴスラビアはもう存在しない国なのです。それはいったいどこで、そこを舞台にした内戦とはどういうものだったのでしょうか。今回のテーマはこれです。

 ごく簡潔にまとめると、『ユーゴスラビア内戦とは、多民族を統合した人工国家であるユーゴスラビアが分裂するにあたって起きた凄惨な内戦』です。

そもそもユーゴスラビアってどこ?

 ユーゴスラビアは、バルカン半島にありました。ギリシャのすぐ北、イタリアやオーストリアの東です。ここはヨーロッパとアジアの境目で、いろんな民族や宗教が混在していました。

 バルカン半島といえば、「ヨーロッパの火薬庫」という言葉を聞いたことがあるでしょう。そう、多数の民族や宗教集団が入り乱れていたことから、争いが歴史上絶えなかった、というのが基本的なイメージです。ただし、実際にはそうではなく、第一次世界大戦以前には比較的安定して共存していました。

どんな国?

 「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という言葉が、ユーゴスラビアの特徴です。複雑過ぎてわけがわかりません。解説でわけがわからないというのもどうかと思うのですが、率直なこの感想こそが、この国の本質でした。

 ユーゴスラビアは当初はセルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の連合王国として第一次世界大戦後に成立しました。第二次世界大戦中にはナチスドイツの占領下に入って消滅していましたが、戦後復活し、このときに台頭したティトーが1980年までの長きにわたってこの国の指導者となります。いわば、ティトーというカリスマがいたからこそ統合されていた国なのでした。 

分裂の背景:経済格差と民族意識

 ……あまりに複雑すぎる国なので、「どうして分裂したのか?」よりも「どうして統合できていたのか?」を考えた方がいいぐらいなのですが、それはさておき。

 分裂原因の1つめは、経済格差です。ユーゴスラビアの中でもスロヴェニアやクロアチアは工業化が進んでいて経済的に豊かである一方で、人口の多いセルビアは経済発展が遅れていました。そのため、豊かな地域は豊かさを自分たちだけで独占したいから連邦からの離脱を望む。一方で貧しい地域は豊かな地域に対する憎しみを募らせる。これが分裂と対立の原因となっていました。

 もう1つは、民族意識です。ただの南スラブ人でしかなかった彼らがそれぞれ民族名をもって共和国を形成して生活してくる中で、「自分は何人(なにじん)なのか」ということに関する関心が高まりました。しかもカリスマ指導者であったティトーの死後に代わりになるカリスマなどいるはずもなく、大統領を交代制にしたのですが、これが共和国ごとのローテーション制でした。このことからも、自分がどの民族集団に所属するのかが関心の的になったのでした。

 

内戦の特徴

 ユーゴスラビア内戦の特徴は、段階的な分裂と、凄惨な被害の2つです。

 ユーゴスラビアは、突然分裂したわけではありません。まず1991年にスロヴェニアとクロアチアが分離独立を宣言する、そのあとにボスニアやマケドニアが、そしてモンテネグロが、と少しずつ分裂していったのでした。これに合わせて、内戦の戦場も変わっていきました。

 しかしユーゴスラビア内戦の最大の特徴は、その凄惨なありさまです。敵対する民族集団に対して、強制移住どころか、大量虐殺、レイプなどが横行しました。あたかも1つの民族集団を地球上から消し去ってしまおうとするかのように。これを、民族浄化といいます。そのひどさゆえに、当時のセルビア大統領であるミロシェヴィッチをはじめとした多数の指導者が、特別の国際法廷で裁かれることになりました。

 冷戦終了後、世界各地では民族紛争や宗教紛争が多発することになります。ユーゴスラビア内戦はいわばその先駆けでした。民族や宗教が問題となった点でも、凄惨な被害が生じた点でも。

まとめ

 ユーゴスラビア内戦とは、『人工国家であるユーゴスラビアが分裂する際の内戦であり、凄惨さを特徴』としました。

例題

 次のうち、ユーゴスラビア内戦後の独立国はどれか。

1.アルメニア

2.アルバニア

3.スロヴェニア

4.スロヴァキア

解答解説

1.アルメニア:×。アルメニアはトルコの東、コーカサスにある国です。

2.アルバニア:×。アルバニアはユーゴスラビアには含まれない独立国でした。なおセルビアから独立しようとしたコソボ人は、ここと同じアルバニア人です。

3.スロヴェニア:○。これが正解。

4.スロヴァキア:×。チェコと連合して国家を形成していました。