自分と社会の
「ちょっと」先を考える

2020/03/10公開

「やりたい教育は20年前から変わっていなかった」:香里ヌヴェール学院学院長・石川一郎さん

今後の方向性が慌ただしく揺れ動く日本の教育は今後どうなっていくのか。
いち早く日本でアクティブラーニングを実践し、21世紀型教育を推進する、香里ヌヴェール学院学院長の石川一郎さんにお話を聞きました。インタビュアーはtyotto代表取締役の新井光樹です。

お仕事は「学校改革」

石川一郎さん

新井 光樹(以下、新井):本日はよろしくお願いします。まずはじめに、石川先生の現在のお仕事を教えてください。

石川 一郎(以下、石川):わかりやすく言えば、「学校経営のコンサル」です。生徒を集めるために広報活動をしたり、広報素材のメインとなる学校のカリキュラムを作ったりしています。現在は、関東と大阪の4つほどの学校をお手伝いしています。

新井:学校経営のコンサルですか。あまり聞き馴染みがありませんが、なぜそのようなお仕事をすることになったんですか?

石川:この仕事を始める前は「かえつ有明中学校・高等学校」で10年ほど勤務し、最後は校長を務めていました。ここを退職し、これからどうしようかと考えたときに頭に浮かんだのが自分の得意な分野である「学校改革」のフィールドだったのです。

そんなことを考えていた矢先に、大阪の学校からオファーをもらいまして。週2、3日の頻度で大阪へ向かい、ホテル暮らしをしながら仕事を始めたのがきっかけです。

いつもそうですが、あまり具体的に次の見通しや働き方は考えていませんでした。大阪の件も、話を聞いてみてなんとなくで始めてみたらどんどん次につながっていったんです。

新井:具体的にはどんなことをするんですか?

石川:一つは、説明会の企画です。説明会に登場する人物、内容、ストーリーなどを用意し、リハーサルから本番まで自分が指揮を執ります。いわば、説明会の演出家ですね。

その他にも、授業の内容や先生向けの研修内容を考えるなど、業務範囲は多岐に渡ります。

新井:これまで石川先生は入試制度改革を見据えたカリキュラムをはじめ、先を見据えた教育を作ってきたと思います。そういったオファーが少なからずあるということは、学校側としても新しい教育の形を求めている、ということでしょうか?

石川:そうした先進的な取り組みをしたいと考えている学校もあります。一方で実情として、新しい教育を打ち出さなければ生徒を集めづらいといった状況もあるんです。

生徒を集めるには大きく2つの方法があります。1つは、男子校や女子校を共学にすること。もう1つは、進学校化を進めること。

私が提案する「新しい教育カリキュラム」の導入はいわば「第3の道」です。

新卒で赴任した先はまるで学園ドラマの世界だった

tyotto代表取締役の新井光樹

新井:いつから「第3の道」を実践し始めたんですか?

石川:1996、7年の頃ですね。でも本当は、1985年に私が初めて教師になった時から頭の中では考えていました。

自分がこれまで受けてきた授業は、一方的に話を聞くだけで、眠いしつまらないものでした。自分で調べて勉強した方がよっぽど面白いな、と。そんな教育を改革したい、自分だったら何かできるんじゃないかという大きな夢を持って教員になったんです。

大学を卒業した私が新卒で赴任したのは、千葉県木更津市にある中高一貫、全寮制の男子校(当時、現在は共学)の暁星国際高校でした。ここで教員としての人生をスタートさせます。

新井:入試制度改革の動きの中で新しい教育へのニーズが高まっていますが、石川先生の実践はそれに備えたものではなく、ずっと前から温めてきたものだったんですね! 今になって、たまたま時代が追いついてきた、と。

石川:良く言えばそうですね。それでも、紆余曲折ありました。

私が教師になったころは、学園ドラマ『スクールウォーズ』が流行っていた時代で、不良と呼ばれる子も多く、日本の学校全体が荒れていた時期でした。今では体罰で問題になっちゃいますけど、先生たちも体育会系で生徒を治めている状況でしたね。子どもの数も多いし、よく言えば、全体的に日本の学生には「元気」があった時代とも言えるかもしれません。

子どもも多いから、予備校に入るのも簡単ではなくて、予備校入学のための推薦を学校が出す事もありました。受験も大学全入時代の今とは異なり、合格は狭き門、という状況でした。今では考えられませんよね。

そんな背景があり、全寮制の男子校だった暁星国際も、ビシバシと勉強をさせる教育を推進していきました。私もいつの間にかそれにならって、大学に合格するための指導をするようになっていました。自分が当初思い描いていた教育のあり方とは正反対の方向へと進んでしまっていたんです。

教師を続けて13年、異動先は営業職──生徒を求めて世界中を飛びまわる

新井:石川先生は、そこから、どのように方向性を戻していったんですか?

石川:1995年頃、自分が33、4歳の時に、自分のなかで理想の教育を改めて見つめ直す機会があったんです。

そのころから徐々に子どもの数が減ってきて、生徒が集まらない学校も増えていきました。活気も失われ、日本の学校が一気につまらなくなっていった時期でした。

私が勤めていた暁星国際高校も例に漏れず、生徒数が落ち込んでいきます。特に全寮制の男子校という特殊な環境でしたから。

そうした不安定な学校経営の現場を見ている中で、自分はこの先どうしていきたいのか、考えました。その時になってようやく、自分がやりたかった教育と今自分が進んでいる道が違うことに気がついたんです。

さあ、じゃあこれから心機一転、自分がやりたい教育を実践していこう! と考えた時に、私は授業の現場から営業職へ異動となります。先に話した通り、営業なしでは、生徒が集まらない時代になっていたのです。

自分が担当する授業も徐々に減り、営業ばかりの30代でした。塾や公立中学校を回ったり、全国、さらには帰国子女を求めて海外の塾へと飛び回りました。

新井:現在だと、暁星国際はいわゆる「お金持ちの子どもが行く学校」というイメージがありますが、昔は状況が違ったんですね。

石川:そうですね。仕事が忙しく、育児をする時間のない保護者たちが、全寮制の暁星国際を選んでくれたんです。

バブルの頃はすごかったですよ。「保護者会に行くのに、国産車じゃいけない」という空気が流れていて、ベンツをはじめ、数々の外車が並んでいました。

新井:そもそも、学校の営業ってどんなことをするんですか?

石川:塾のエントランスなどに学校のパンフレットが置いてあるの見たことがあると思います。それは学校の営業担当が持っていったものです。ほとんどの人は知らないかもしれませんが、多くの中学校では、学習塾への営業が生徒集めの主な手段なんですよ。

私は営業活動を続ける中で、「どうしたら生徒が集まるのか」を必死に考えました。するとそこでも、単に集める方法にとらわれずに、世の中でどういう教育が望まれているのかを深く考えることが重要なんだと気付いたんです。面白いことに、営業職になって、当初自分が抱えていたテーマへと戻ったんです。

新井:紆余曲折がここに帰着するんですね。まずは、学校で営業としてやりつつも、自分のやりたい教育を考えていたと。

石川:そうなんです。

私立高校は大きく3つのカテゴリーに分けられます。公立に合格できなかった生徒がいく「受け皿校」と呼ばれる高校か、進学校か、それからスポーツに力を入れた学校。

この限られたカテゴリーの中で勝負していても未来はないということで始めたのが、先ほどから説明していた「第3の道」です。進学も大事だけど、やはり学校は「学びの場」であることが何より大切だと思いました。子どもたち自ら学びたいと思えるような環境を作ってあげたかったんです。

学校なのに授業ナシ、寝るも雑談もOKなコースを新設

石川:そこで新設したのが「ヨハネ研究の森コース」です。

暁星国際には、教室4つ分ほどの広さで生徒たちが自習できるスペースがあったので、その場所を教室にしました。教育方針もガラリと変え、子どもたちが自分たちで進める教育に。

教室の中では、小学生から高校生までの子どもたちが学年の壁を取り払って、みんな自分で学びを進めます。先生たちは勉強に関して一切干渉しません。

新井:でも、コース新設には反対の声もあったのではないですか?

石川:その通りです。学校内部からも、生徒の保護者からも大バッシングを受けました。

ですから半ば賛成してもらうことは諦め、外部の人たちを呼んでコース運営をして行きました。校舎も200メートルほど離れた寮の中だったので学内の人は全く関与せず、いわば学校の中にもう1つ別の学校があるような感じでした。

生徒は朝の7時半に集合して、掃除をする。そして16時にもう一度集まって最後掃除をする。ルールはこれだけです。あとは自由で、寝たり、雑談したり……。人に迷惑をかけなければ、何をしていても問題はありません。

新井:かなり先進的な取り組みですね。そのコースは正式に認められていたんですか?

石川:文部科学省の「研究開発学校制度」で認められていました。当時の日本は不登校などが社会問題になっていたので、新しい教育がとても喜ばれていたんです。実際、1年目は7人だった在籍生徒数も、2年目に30人、3年目には70人と増えていきました。(ヨハネ研究の森コース自体は現在も存在するが、カリキュラム等は当時から大きく変わっている)

そしてこのコース立ち上げから約5年、私は教師を辞めます。日本で教育に携わることに疲れてしまって、しばらくの間、海外を放浪していました。その後、日本からのあるお誘いで再び教育の世界に戻ることになります──。

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