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2020/03/19公開

塾バイトにハマり19歳で中退、学習塾を立ち上げる──tyotto代表取締役 新井光樹

前回まで2回にわたり、tyotto代表取締役、新井光樹さんの半生を振り返りました。第3回となる今回は、大学入学後から追いかけます。卒業することなく、10代のうちに大学を去ることになるのですが──。

第1弾はこちら>

[中2で売上150万円、「友達をつくる必要性を感じなかった」幼少期]

第2弾はこちら>

[「朝6時まで残す塾」と「岐阜の核融合科学研究所」が人生の分岐点に]

卒業を待たずに愛知→千葉へ、1人暮らしをスタート

1月末、まだ同級生たちが大学受験真っ只中のとき、僕は進学先の日本大学がある千葉県船橋市で1人暮らしを始めていました。高校は、卒業式だけ出れば出席日数も足りていたので、自分で物件を決めて、早々に愛知から千葉へ移り住んだのです。

当初はホームシックにかかり、愛知から母親が来てくれたこともありましたが、1、2週間経てば慣れるもの。中学生の頃、調理師だった父親から食材の目利きや料理を教えてもらっていたので、自炊に苦労することもなく、1人暮らしは順調なスタートを切りました。

大学が始まるまでは少し時間があったので、アルバイトを探し始めます。当時は髪を染めていましたから、頭髪が自由であることを優先してバイト探しを行い、居酒屋チェーンと個別指導塾の2つに応募しました。

どちらも採用の連絡を受けましたが、居酒屋ではアルバイト初日に髪の長さを注意されたため採用を辞退。学習塾だけを続けることになりました。

学習塾のアルバイトにのめり込む日々

tyotto代表取締役の新井光樹

大学での勉強は好きなことばかりだったので楽しくて、とことん勉強しました。大学の成績は、数学も物理も完璧に近かったと思います。初日のオリエンテーションに遅刻したこともあり、友達は相変わらずほとんどいませんでしたが。

そんな大学の授業と同じくらい夢中になったのが塾のバイトです。塾は大学から徒歩5分ほどの距離にあったので、講義が終わった16時半ごろから閉校までほぼ毎日を塾で過ごしました。教室長が教室を開けていない日も、許可をもらって自分で開けているほどでしたね。

そこまでのめり込んだのは、教室長の人柄に寄るところが大きいです。

今後の教育がどう進むか、個別指導の問題点とは、さらには現在の経営状況ませ……。いろいろなことを包み隠さずに教えてくれました。僕が何に興味を持ち、どんなことに取り組みたいのかをくみ取って、一緒に教室を作り上げてくれたことに嬉しさを感じました。

勉強を教えることが楽しい、というよりも、教室長に会いたくて出勤していました。

頼まれてもいないのに、事務作業やビラ配りなど全ての事務作業を無給でやらせてもらいました。教室運営がどのようなものかその全体像を知ることができたのは大きな財産です。

その後、教室長が転職することになり、それを機に僕も1年続けたアルバイトを辞めました。

19歳の夏、大学中退と教室長就任

バイト辞める頃には、「自分で塾をやってみたい」という思いが芽生えていました。思ったらすぐ行動するタイプなので、塾を開業する方法を調べつつ、学習塾関係者にアポを取って、いろいろな話を聞きました。

そのうちの1人が、のちに一緒に武田塾をフランチャイズで運営することになる大濱裕貴(おおはま・ゆうき、現在はクルイト株式会社代表取締役)さんです。大濱さんが千葉の津田沼に新教室を出そうとしていることを聞いて、「教室長を僕にやらせてください!」と伝えたんです。

大濱さんからは「大学があるから時間的にそれは無理だ」と。「大学を辞めたらできるけど、それはオススメしない。4年間しっかり通って卒業した方が良い」とアドバイスもしてくれました。

しかし僕も譲りませんでした。どうしても教室を運営してみたかったし、大学の授業も半ば飽きてきた頃でした。大学で習う物理も、結局は紙とペンさえあればどこでもできるよね、って思っていたんです。

翌日、僕は中退届を提出します。成績は良かったので、窓口の先生からは「このままいけば奨学金で学費が全額返ってくる可能性もある。本当に辞めてしまっていいのか?」と引き止められましたが、それでも僕は中退を決断しました。

そのまま中退証明を大濱さんに見せに行った時は驚かれました。「まだ間に合うから中退を取り消しな」と説得されましたよ(笑)。

もちろん僕の意志も固かったので、大濱さんが折れて、ついの僕に教室長を任せてくれることになりました。その代わり、「死ぬ気で頑張ること」「成果を出すこと」を約束しました。ここから僕の新しい教室作りが始まります。

ノウハウ・経験ゼロ、武田塾津田沼校の教室長に

10月、武田塾津田沼校開校──。

物件探しやテナント契約、法人の手続きなどなど。今まで名刺も持ったことがなかった僕は何も知りませんでしたが、大濱さんのサポートを受けながら、なんとか開校までの準備を整えていきました。

まずは何より生徒募集です。もちろんこれが初めての経験でしたから、経験のある人の話を聞きに行って、見よう見まねではじめました。

その中には、ある大手個別塾の代表の人もいました。彼は「人を殺す以外全部やった方がいい」と言っていたのを覚えています。言い方は物騒ですが、そこまでの決意がないと生徒集めはできないのだと痛感したのをよく覚えています。

自分が今できることを考え抜き、結果、ビラ配りとポスティングをすることに決めました。当時は折込チラシを配布するお金もなかったので。それからは毎日、朝7時半から8時半には近くの高校に向かい、ノベルティと一緒にチラシ配り、教室を閉めた後には、近くのマンションに、ひたすらチラシをポスティングして回りました。

そんなことを続けていたのですが、ふと「そもそも自分は、何かを買う時にチラシを見たことはないな」と思ったんです。じゃあ自分ならどんな媒体でサービス選ぶだろうかと考えたときに、たどり着いたのがインターネットだったんです。

塾を探している人になりきって、「津田沼 塾」と検索すると、大手予備校の名前がズラリ。ここに自分たちの塾を載せるにはどうしたらいいのだろう? と調べた結果、「SEO対策(検索結果で上位に表示するための対策)」が重要だと知りました。

そこでブログを開設し、とにかくSEOが上がるような記事をたくさん書きました。すると、みるみる検索順位は上昇し、3ヶ月後には上から3番目に表示されるまでになりました。

ちなみに後になって「津田沼 塾」というキーワードの検索ボリュームを調べてみると、「津田沼 塾」のキーワードはかなり検索数が多いキーワードだったことがわかりました。それもそのはずで、実は当時の津田沼は駅から半径2キロ以内の塾数が日本最多のエリアだったんですよ。超塾激戦区だったわけです。

はじめのうち、入塾するのは月3人ほどで、10月の開校から5ヶ月が経った2月末の時点で、生徒数は12人でした。それでも幸い黒字ではありましたが、本部には生徒が150人くらいいるという話を聞いて、それを超えたいと思うようになりました。(第4回に続く)

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