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2020/03/19公開

開校1年で生徒数180人を達成、tyotto創業の裏話も──tyotto代表取締役 新井光樹

tyotto代表取締役、新井光樹さんの幼少期から現在までを振り返ってきました。最終回では、tyotto創業とその後の成長につながるエピソードを振り返ってもらいました。

第1弾はこちら>
[中2で売上150万円、「友達をつくる必要性を感じなかった」幼少期]

第2弾はこちら>
[「朝6時まで残す塾」と「岐阜の核融合科学研究所」が人生の分岐点に]

第3弾はこちら>
[塾バイトにハマり19歳で中退、学習塾を立ち上げる]

開校1年で生徒数180人、武田塾ではレジェンド的存在に

tyotto代表取締役の新井光樹

目標達成のために、朝から晩まで1日18時間働きました。7時に起床、チラシ配りを終えて教室運営、教室を閉めてからはポスティングをして夜中の1時に就寝。空いた時間にはSEO対策用のブログ更新を続けました。当時、周りの起業家に話を聞くと、何よりまずはハードワークをしまくれ、と言われることが多くて、じゃあ自分ができる最大のハードワークってなんだろうと考えた末の結論が18時間働くことでした。それぐらいやるもんだという感覚だったので、一切辛くはありませんでしたね。

その甲斐があり、4月末には生徒数が120人にまで増加。夏が過ぎ、開校から1年が経った10月、11月頃には180人ほどにまで膨れ上がり、ようやく本部の生徒数を越えることができました。

開校1年での達成に、武田塾界隈ではレジェンドと呼ばれていました(笑)。今でもよく話に出るようで、武田塾の人と会うと「あの新井さんですか!?」といった反応をされます。

レジェンドかどうかはともかく、それほどの結果を出せたことは、自分の自信にもなりました。

それだけの生徒数がいるということは当然、受験相談や入塾面談の数もかなりの数でした。1ヶ月に約180件もの面談をこなしていて、その中には、現在tyottoで共に働いている小形雄大くんもいます。

当時のスケジュールを見せてもらった。

「自分がどんな教室を目指しているのか、なぜこの塾やっているのかを言語化した。これだけ」

生徒集めと並行して、講師も採用しなければいけません。当時の僕は19歳でしたが、1人目の講師として来てくれた子が同い年の東工大生でした。当然頭は良かったですし、すごくいいやつで。掃除も一緒にやってくれたりと、同い年なのに自分のことをとてもリスペクトしてくれたのが印象的です。

それから年上の講師も入ってきましたが、周りのフォロワーシップにも支えられ、ありがたいことに、あまりマネジメントで苦労することなく教室を運営することができました。もしかしたら講師も不満を抱えていたかもしれませんが、それで辞めてしまうようなことはなく、本当に恵まれていたなと思います。

ことさらマネジメントと言えるようなことはしていませんでしたが、一つ挙げるとすれば、自分がどんな教室を目指しているのか、なぜこの塾やっているのかを言語化し、自分の言葉で伝えました。そのうえで「あなたの役割としてこういうことを期待しています」ということをしっかりと伝えました。やっていたのはこれだけです。

僕の性格的に、良い意味であまり人の感情が気にならないので、ダメだと思ったことは伝え切れるし、変に気を遣わなかったことが逆によかったのかなという気がします。

2年半で武田塾を退職──2016年9月にtyotto創業、現在へ

現場で教室運営に携わったのはおよそ1年で、そこからは別の人を採用してマネージャー的な立場で、3教室を管轄すると同時に、マーケティング担当として動いていました。

正直、マネージャーとしては未熟で、今振り返ると失敗だったな、と思います。自分が教室長だった時には全てがうまくいっていたのに、マネージャーに就いてからはその時ほど生徒数を増やすこともできず、退職者も増えました。

マネージャーをしていた時は、コミュニケーションの数が圧倒的に少なくなっていたことが失敗の要因の1つだったかもしれません。教室にいると、どうしてもいろいろ口を出したくなってしまうので、できる限り現場を見ないように心がけていたんですが、教室長たちの状況を把握しきれていなかったのはミスでした。コミュニケーションの量もそうだし、質の部分でもあまり良くなかったかもしれません。

何はともあれ、約1年半ほどマネージャー職を経験。その後独立して立ち上げたのがtyottoです。

現在のtyottoは、学習塾をはじめ、アプリやオリジナルのワークショップ型コンテンツの開発など、教育ベンチャーとして多方面の事業を展開していますが、最初に始めたのは、「受験メディア」でした。

実は、武田塾に在籍している間に、武田塾の中ですでに受験メディアを作っていました。辞める前の最後の半年くらいは、メディア作りに一番注力していたと思います。それであるとき、武田塾の社長に「僕辞めます」と言ったら時に「辞めて何するの?」と聞かれたので、「メディアはすごく好きだから今後もやっていきたい」って話をしたんですよ。そうしたら「じゃあ今のメディア、そのまま持っていっていいよ」と言ってくれて。

それを引き継ぐ形で、tyottoのメディア事業がスタートしました。

当時はメディアブームでした。それゆえにアクセスを稼ぐために記事のクオリティが低下する、といった問題も生まれてきたわけですが、僕がメディアに惹かれた理由の1つは、「機会格差」や「教育格差」をなくすことができるんじゃないか、と思ったからです。この思いは今でもあって、ウェブやITの魅力はやはりそこにあるなと感じています。

ただ、やはりメディアだけで事業を黒字化することは難しく、半年ほど運営してアッパーが見えたかな、というところで一度受験メディアは頓挫しました。

その次に挑戦したのもメディアで、これは塾講師の求人を目的としたものでした。すでに世の中には何万もの学習塾があったので、その中のイケてる教室に光を当ててサポートできたら良いな、って。でも始めてからわかったのは、そんなにイケてる塾はわざわざメディアのサポートがなくても、人が集まるんですよね。誰も求めていないサービスを作っていたわけです。

それならいっそ、自分たちで塾を作っちゃおうよ、とスタートしたのがtyotto塾の前身にあたる「Withdom(ウィズダム)」という学習塾です。これが2016年の9月のことです。

それから約3年半、現在のtyottoは教育ベンチャーとしての成長期にあるように思います。当時はわからなかったけど、今になって思い返してみると、過去の色々な経験が今の成長につながっていることを実感します。仲間にも恵まれました。

tyottoの創業メンバーの多くは、武田塾時代の生徒や講師、その友人などです。経営者として未熟で、事業の方向性も定まらなかった時にジョインしてくれて、中には大学を中退してコミットしてくれたメンバーもいました。彼らがいなければ現在のtyottoはなかったと思います。

「教育で世界をちょっとよくする」──。

このミッションを胸に、今後も個人、会社として成長し続けていきます。

著者

チョットーク編集部

チョットーク編集部

自分と社会の「ちょっと」先を考えるメディア、チョットーク編集部です。

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